“愛”と“癒やし”のために・・・

この世界の “やさしさ”や“愛” そして“癒やし”を伝えていきたい。

“和”の成功作法

 

“やすらぎ”のある、経済的向上・・・。

 

20代の頃から、自己啓発や願望達成法の書籍をよく読んだ。
そして、セールスで世界6位という方のセミナーを受けたり、
インターネットビジネスのセミナーを多く受けたりしてきた。

 

それなりに感心もし、得るところも多く、学ぶことも多かった。

 

だけど、いまだに成功もせず、裕福にもならず、経済的にはかなり
ぎりぎりの生活を送ってきた。
・・・どうもしっくりこないのだ。

 

頭では素晴らしいと思うのだけれど、“何か” ちがう。
“やすらぎ”がない。 

 

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欧米系の願望達成法や成功法というのは、自他を分ける。

 

自己主張ができなければ、まるでアイデンティティがその人に
ないような思われ方をする。

 そして、欧米的な“成功”は、人や何かを“操作”しようとしている
ように思えてしまう。。 

相手を自分の思うように動かそうとするのだ。

(欧米でベストセラーになった「人を動かす」という名著もある)

 

 

 日本には人を操って自分の思うようにしようとするのを、善しとしない文化がある。

 

そう、“ゆずりあい”や、“仲がいいこと”『いい感じ』を持つ、
「和の国」なのだ。
 表面的にはもう意識もしないが『和をもって貴し』となす、という心情がある。

 

 

お金を粗末にするな。ものを粗末にするな。もったいない。
という、お金やものは大切にしよう、という考え方
はある。
 

だけど、それを第一義にはしない心、というか、そんな“想い”がある。

 

では、その“想い”にあった、日本人のための成功法というのは
あるのだろうか。

 

“成功法”という言葉自体がしっくりこないのかもしれない。

 

日本人にとって大切なのは その“道を歩く” “道を歩き続ける” という
”型”で、日本の経済を支えてきた「職人」たちの技は、その道のなかで
磨かれてきた。

 

 

多くの職人の方たちは、異口同音に「死ぬまで修行」という。
「完成」はないという。
 

技術者にとって、“完成した”という意識は、もうそれ以上進歩がない、
ということだ。
 
日本人にとって、何かをなすことは『道』であって、完成ではないのだ。

 

 

もしかすると、一生をかけるに値する情熱や技能にであうこと自体が一つの達成、
なのかもしれない。

 

生涯完成することのない、己の”シゴト”を見つけることが、“はじめ”

なのかもしれない。
 

そして永遠の“完成形”への追求がはじまるのだろう。

 

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(“癒やし”のためには、心の癒やし、カラダの癒やし、経済的な癒やされ、があって、
その三つがそろうことが、大切なのか、と思い、日々の想いを書いてみた)