二足のわらじ・・・二つの仕事を持っているということ
私は “二足のわらじ” を履いている。
厳密に言うと三足か?
ある種の自分の信念から、といえる。
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私たち『癒やし』にかかわる者は、
病いに苦しむ人たちや、痛みや不調に苦しむ人たちの助けになることが、
“目的”になっている。
だから、
もう二度と私たちのところへ来なくてもいいように、
という努力を必死でする。
自分でなおす方法も教えるし、“私”にかからなくてもいいアドバイスもする。
『病気』には『可逆性』と『不可逆性』があって、
血流が止まり、腐ってしまった体を治すことはできないし、手術でとってしまったものを“元に戻す”こともできない。
(そういう方の手助けはするし、毎月、メンテナンスのために施術を受けていただい
ている方々のためには続けて施術をしている)
少し前の「西洋医学」では、切れた神経は元に戻らないし、血管も新生(新しく生まれる)もしないとされていた。
この少し前の「西洋医学の“常識”」も、「発生解剖学」や「生理学」から考えれば
ちょっとおかしな話しで、
子供が大人になる発達段階では、『神経』と『筋肉』は互いに相関していて、
互いにはたらいて情報を与え合わないと、『廃用の法則』で萎縮したり機能が落ちたり
する。
ガンになるとその周辺にまるで『藪』のように、新しい血管ができることも知られているし、目が見えなくなる『黄斑変性』も「眼底」の焦点部にある
「黄斑」のところに「新生血管」ができるせいだといわれている。
『血管』は必要とあれば、そのものを生かすために必要になれば、“生まれてくる”
つまりは“自然”が治してくれる。
私たち “癒やしびと” の役目は、
道に落ちた大きな石をどけてあげて、通行ができるようにするような、そんな
手助けを、ただ、しているだけだ。
その人の持っている“生命のエネルギー”の、代わりになることはできない。
そして“自己治癒”を助ける仕事なので、
その人の手が離れれば、食べていける仕事が必要になる。
ある意味では、
“病気にならない人”を増やすのが“癒やしびと”たちの『仕事』なのだ。
だから『二足のわらじ』をはく。