幸せの青い鳥…
砂漠の中に城壁で守られた大きな街があった。
その街に向かう道の端に一人の老人が休んでいた。
そこに若者が通りかかり、その老人が “やぁ、・・・どこへ行くのかね”
と声をかけた。
その若者は、その街に行くと答え、“あの街はいいところですか?”と聞いた。
老人は、“以前に住んでいた街はどうだったかね?”と聞き、
その若者は、“いやぁ、ひどいところでしたよ・・・”と応え、以前の街のわるいところを
あれこれと数え上げた。
老人は言った。
“そうかい、そんなにひどかったのかい。・・・あの街もひどいよ” ・・・と。
・・・しばらくして、また別の若者が通りかかり、
また老人が“やぁ、・・・どこへ行くのかね?”とたずねた。
その若者は、その街に行くと答え、同じように “あの街はいいところですか?”と
聞いた。
同じような問答があったが、今度の若者は、以前の街がすごくよかったことを伝え、
その街はどうか、と聞いた。
その老人は、にこやかに応えたそうだ。
“あの街は、おまえさんの前に住んでいた街のように、すごくいいところだよ”と。
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私は、この話を忘れられない。
それは『引き寄せの法則』でもあり、幸運ややすらぎをはこんでくれる、
ものごとの“見方”でもある。
物事のわるい面ばかり、を見て、
人の批判や、文句、責任云々を言い続けている人には、おそらく死ぬまで
“やすらぎ”はやってこない。
厳しい正しさを求める心は、自分に対して向けるものではないだろうか。
人を批判し、責めたところで、自分は成長しない。
そして、自分も人も幸せにはしない。
真実の正しさは、“愛” の上にしかない。
それが、母親を5歳で亡くし、ひねくれた想いを何十年も持ち続け、
訳のわからない虚無の想いにさいなまれてきた、“老人”(私)の答えだ。
(私は、砂漠の賢者(老人)のようにはなれないが・・・)