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“愛”と“癒やし”のために・・・

この世界の “やさしさ”や“愛” そして“癒やし”を伝えていきたい。

“成功する人”の“想い”のアンカー

 

“夢は何ですか?”

と、問われて 旅行や物質的な“得たいもの”をあげる人で、

あまり成功する人はいないらしい。

 

仕事を通じての夢や、社会貢献を語る人たちは、

恵まれた生活か、成功する人が多いのだという。

 

固定的な話しではないだろうけれど、

生活の糧のために“仕事”をしている、と感じている人にとって、

“仕事”は夢でも希望でもない。

 

そういう意味では、仕事で成功することは、確かにむずかしい、と

思う。

 

“この世界”を、経済だけでとらえていれば、“仕事”は自由に対象では

なくなるだろう。

 

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私は、建築の関係がしたくて、建築の学校へ行った。

しかし、家族ができて、生活のため、“好きじゃない仕事”として、

営業を、17年もやってしまった。

 

今でこそ、「手技療法家」“癒やしの専門家”として、ボールルームダンス

コーチャーとして、仕事を楽しんでいるが、

営業の仕事をしているころは、営業所の売り上げを3倍に引き上げるとか、

北関東3位の成績を上げるとか、があっても、

 

いつも、居心地の悪さ、と、違和感を消せなかった。

 

今、言えることは、“自分の大好き”で人々への役立ちを考える、ということだ。

自分が心から悦びながら、多くの人の役に立てたら、

自分も人も幸せにすることができる。

 

誤解を恐れずに言えば、自分を不幸なまま、仕事をしてはいけない。

自分が不幸な人は、他人を幸せにはできないだろう。

 

永続的な“成功”は、より多くの人を幸せにした、“結果”なのだ。

それは、私の今までの心の課題であり、この先にも続く課題でもある。

“希望・・・”

かって、今ほどモノがあふれた時代が、あっただろうか。

 

そして人の心は、かってないほどに、ばらばらになり、
“正しく”生きているつもりが、一つも幸せじゃない。

 

“食”にしても、日本ほど“世界中”の地域の“食”が食べられるところは
ないそうだ。

 “食物”から“生命”が消え、科学的な調味料や、ホルモンや抗生物質

混ぜた餌で育てられた畜肉を食べている。

 

ふつう牛は3年ほどで成牛になる。

それを「成長ホルモン」で1年で大人にしたり、妊娠をしてもお乳が

出せるように、乳牛を人工的にホルモン調整をしている。

 

“心”から、生命の躍動感や生きる悦び、希望や期待を奪い、

食物からは、ミネラルやビタミン、“生きる力”をなくして、平気でいる。

 

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でも、おそらくは、心の底でそのおかしさに気づいているはず。

 

医学の “常識”にしても、

むかしはケガの備薬だった「赤チン」や「オキシフル」が

ばい菌の「タンパク質」を変性させて殺すモノだったため、使わない方が

治りやすい、とか、

 

「肝臓」にレバー、といっていたのが、「鉄分」が「肝臓」によくないからだめ、

という話になり、

 

「脳」のエネルギーは『糖』しかない、といっていたものが、

『ケトン体』の方が、エネルギー効率がいい、という話に変わってしまった。

 

そして日本の人たちは、“刷り込まれ上手”なのか、人の命を扱う医学の

常識がころころと変わっても、あまり気にするふうではない。

 

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正直、人生でいちばん大切なものは、『希望』だ。

未来を、いいものとしてみることができる『期待』だ。

 

それがあることで、“人の世”を明るく生きることができるのではないか。

 

ほとんどの人が、幼児を見てほほえむのは、

その、“無垢の心”と、親と世界を疑わない素直さを感じるからではないのか。

 

たとえ、独居の、プア老人、になっても、未来の希望は見失わないでいたい
ものだ。  (似非知識にごまかされないで・・・)

 

“希望”は、見なくなったときに  “見えなくなる”

 

“やすらぎ”を生きてほしい

(*最近なんどか自殺のニュースを見たので・・・)

 

自殺した方に何かをいう形になっていたら申し訳ない。

基本このブログは、誰にも何も言わない。

 

だけど、できることなら“やすらぎ”を生きてほしい、と思う。

“無理”をしないでほしい、と想う。

 

私もなんどか、カミソリを手首に当てたことがあった。

しかし、私の悩みなど“甘え”でしかない。

 

自分が、無条件の愛の愛を注いでくれるはずの母親が

早くに亡くなった存在、だとしても、・・・“愛”がなくなったわけじゃない。

愛情表現に不器用な厳しい父に育てられたとしても、

それでも、“愛”が消えたわけじゃない。

 

それどころか、

もし親子の間が、前世で約束されたものなら、母親は、何でこんな

子供を残して自分が先に逝くような状態に、つきあってくれたのか、

こんなに大きく、こんなに深い“愛”など、

 

弱い私には考えられない。

 

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親のいない哀しみを、何度も繰り返し嘆いた私が “その愛”に気づいたとき、

“母”を想って、胸が詰まり、こみ上げてくるものを押さえられなかった。

 

人生を無理に頑張る必要はない。

でも、できるなら、どこかに逃げ道を作って、ほんのもう少し、生き延びて

ほしい。

 

“この世界”が“愛”でできていることに気づくことができれば、

きっと、世界のすべてがやさしさに見えてくる。

 

ほんとうは、その“証拠”は、道ばたの石ころのように、そこら中にある。

ただ、見ようとしなければ見えない、だけだ。

 

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私は今、ひとりぼっちだ。

でも、この“やさしさ”や“愛”は、いつでも私の傍らにいる。

いてくれる。

いや、そばじゃなく、私の心の内に、・・・いつも一緒にいてくれるのだ。

 

それは、一人より二人がいいし、愛する人が一緒にいてくれる方がもっといい。

でも、たとえ愛する人が離れていっても、それは一つの“卒業式”なだけ。

“愛”はいつだって、取り込むものじゃないし、それが相手の幸せなら、

“手放す”ものだ。

 

若いころ、手首に当てたカミソリを、引き切らなかったからこそ、

今の“あたたかな”心がある。

 

 

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この世界の“法則”は、“認めたもの”が大きくなる。

見ようとしたものが、見つかり、多くなる。

 

だから、今の、“幸せ”の部分に目を向けよう。

今の人生の、“でもこれがある”っていうような、希望と愛に目を向けよう。

 

絶望から目をそらし、“希望”と“可能性”に目を向けよう。

卵子』からみれば、貴女は700万の中から選ばれたたった一人の女性。

精子』からみれば、貴方は3億~5億の中から選ばれたたった一人の男性、

なのだから。

 

“この世界”には、絶対に“あなた”にしかできない、“何か”が在る。

 

いつか、もし、そこに行きついた“あなた”に出会ったら、

“よく頑張られましたねッ!”って、エールを送りたいものだ。

 

この“世界”のやさしさとは

[この“世界”のやさしさとは]
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ほとんどの人は気づいていない。
そしてまた、“それ”を、見ようともしていないだろう。

そのやさしさを知った方が、人生に対するとらえ方が
変わるかもしれないのに。

 

きょうはすこし“医学”の関連から、私の感じているところを、
お話をしてみよう。


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ヒトという存在は、“やさしさ”によって生かされている、といえば、
笑われるだろうか。

“医学”を学べば学ぶほど、その緻密なはたらきや精妙な仕組みに
感心するばかり、になる。


“愛”って、基本的には相手を“生かすこと”ではないだろうか。

からだのすべての機能や、その臓器、器官が“あなた”(私)を生かすために
はたらいている。

それは、すべての“ヒト”に対してだ。

“守り”は『免疫系で』
“環境の変化への対応”は『自律神経』や『内分泌』で。

そして驚くべきは、絶えず“新しく”している、ということだ。

 

この世界の動力やエネルギーに関係している「古典物理学」には
“壊れたものは自ら元には戻らない”という絶対法則がある。

“生き物”はその法則から離れたところに“在る”
傷がついても、自らを元に戻そうとするはたらきがある。

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赤血球の寿命は3日といわれている。
あの硬そうな骨だって、「破骨細胞」と「骨芽細胞」によって、
破壊と創生のバランスがとられ、絶えず“新しく”保たれている。

私たちが、それを一切意識していない、となると、
いったい誰が、“それ”をしているのだろうか。


 別に知らなくったっていい。

 でも、自分が生かされていることに、ほんのわずかでも“感謝”して、
 生きることができるようになると、
 
 ほんのすこし、“あなた”(私)の人生が、温かく、なる、
 のではないだろうか。


(『西洋医学』と『東洋医学』からの“癒やし”については、このあとも記す)

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サービス残業???

[サービス残業???]
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最近、「サービス残業」が話題になっている。

・・・ほんの少し前の、古い日本を生きてきたものとしては
違和感を感じる。


 世界と歩調を合わせる?
 訳がわからない。


日本という小さな島国を、世界有数の国にまで引き上げたのは
職人気質の技術力と、使うものの気持ちを“思いやる”工夫、
そして、いいものをつくる、という自らのプライドではなかったか。

 

そして欧米人とは、“脳”も違うし、体の構造も少し違う。
虫の音を欧米人は“雑音(ノイズ)”ととらえるが、日本人には
“秋の知らせ”だったり、“風流”だったりする。

 

「腸」の長さも違うし、「遺伝子」も違う。
ある種の抗体が、片方にはあって、片方にはなかったりするのだ。


日本人の勤勉さは、義務や責任や苦役に耐える力じゃない。。。

 


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“愛と癒やし”の育てを目指したい このブログで、
なぜ、こんなテーマを話題にするのだろうか。

 

それは、仕事に対する考え方だ。

 

仕事の生きがいを感じているときは、あまりストレスは感じない。

その達成感は、積極的な“癒やし”であり、ストレスの解消とも
言える。

 

なぜ、仕事の時間を減らそう、とするのか。

それは、仕事を“生活のため” “義務”“責任”のように感じている
からだ。


“仕事”を悦び、と感じている人は、ストレスは少ないし、
“生きがい”や“やりがい”を心に持ちながら、“仕事”をしている。

 

そういう人は、
そもそも“癒やされること”自体を、あまり必要としない。

いいわるいは別にして、“仕事”をしていること自体が、フツーなの
だ。

 

その“生きがい”から考えれば、
サービス残業”など、陳腐に思えて仕方がない。

 

“癒やされること”とは、自らの“生き方”を、自ら選択することだ。

そして、誰かを“愛し”、 だれかを“癒やしてあげたい”と決意する
ことだ。

 ・・・私的には、そう思っている。


大切なのは、何より、最優先で、いちばん時間をかけて、
自分の“仕事”を見つけることではないか。

そして “自らを心からの幸せ”にすることだ。

“癒やし”さまざま

 

“癒やし”には“愛”が不可欠だけど、
その内容は、それぞれだ。

経済的困窮にはお金が、病の苦しみには“治癒”が、そして精神的な
苦しみには“愛を知ること”が必要になってくるだろう。

なかでも、いいようのない“虚無感”に陥る、というのは、
自分でも訳がわからないことが多い。

私がそうだった。

 

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むかし、新聞配達をしていて、朝まだ暗い内や夕方、料理をする音や
団らんの声が聞こえてきたりする。
そういうときに、急に気分が沈む。 ・・・“うらやましさ”とは少し違う。


すこし大人になって、喫茶店(カフェ)などで仲間と話をしていて、
どこかのテーブルで女子大生などがキャピキャピしていると、急に、
自分が、虚しくなる。

 

若いころには、そのわけがわからず、ただ、自分がいやになっていた。
何をしても自信が持てず、心の内に劣等感や自己卑下の気持ちを持ちながら、
表面的には強がっていた。


この歳になっての“一応の答え”は、
心の奥底の“自分には無条件に愛してくれる存在がいない”という想いが原因
だったのではないか、ということだ。

 

5才で母親を亡くしたことが、何十年も“自分の不足” “喪失感”になって
続いている。

 

 

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現代は、共働きの夫婦、家庭が多い。
そして、子供を産んでも、すぐに保育に預け、仕事に復帰したい、という
女性も増えている。

 

 ・・・私の小さいころの状況と、変わらないような気がする。

今の子供たちも、たった一人の“無条件の愛を注いでくれる存在”がないまま、
そして心の中に“どうしようもない我慢”や“喪失感”を持ったまま、

大人になっていくのだろうか。


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おそらく、充分な愛を受けたと感じないまま育てば “大人”にはなりきれない。
いつも、“愛を試そう”としたり、愛を信じなくなるのではないだろうか。

私は、自分の子供ができてはじめて、自分のなかの愛を知った。

自分自身に“無条件に愛する存在”ができて、はじめて“愛”を知ったのだ。  

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 “カラダの癒やし”は、ほんの少し“生き方”を変える努力をすればいい。
 また、経済的困窮の救いは、まだまだ多くの手がある。


 しかし、愛の喪失感から癒やされるのは……。


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誰かが、誰かの“愛情の喪失感”を救うことはむずかしい。

その人は何度も愛してくれる人の“愛を試そう”とする。

だいたいは、その人がつぶれるまで、そうする。


そして“自分を愛してくれた人”が離れていって、はじめて、なんだかほっとする。

自分の“信念”はただしかった、と思うのだ。

こんな人生のパターンを続けている人はいないだろうか。


カラダ的な“癒やし”も、経済的な“癒やし”も、そして、心の“癒やし”も
最後には自分が変わるしかない。

例え誰かが愛を込めて助言してくれても、
最後は自分が変わらなければ、救いも癒やしもない。


もし、どうしても自分で変われないなら、誰かをたすけ、癒やしてあげよう、と
することが、自らの“癒やし”になるかもしれない。

それも、“本気”でそうすることだ。
自分の“魂”を救うためには、自分自身の“魂の本質”に従うしかない。

おそらくそれで、ほんとうの“強さ”がもてるようになると思う。

 


2017/05/22(記す)

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・・・“愛”と“癒やし”を育てる

“愛”と“癒やし”の芽は、

強い風や、強烈な日差しから、自分の手をかけて守ってあげる必要がある。

 

過ぎ越しのなかで、触れるものの多くは、非情であったり、無情であったりする。

深い愛や、思いやりの心に“世情”のなかで触れることは少ない。

 

自分の愛し子のように、“その子”が自分で判断ができ、ある程度世の中の“真実の愛”を

見つけられるほどに育つまで、大切に守ってあげたい。

 

生まれたばかりの時は、弱く、そしてまた、影響を受けやすい。

いい年をした大人だってむずかしいのに、生まれたばかりの純真なまだ何も書き込まれていない状態の時には、

 

“いいもの”をいっぱい見せてあげて、

“やさしい”話しをいっぱい聴かせて、

“美しいもの”に、いっぱい触れさせてあげたい。

 

“愛”を育てるには、“愛”をいっぱいあげる。

“やさしさ”を育てるには、やさしさをいっぱいあげる。

“慈しみの心”を育てるには、なにかに慈しみの心をかける、必要がある。

 

“愛”は厳しさでもあるけれど、少し後からでもいい。

“愛”は自立を求め、手放すものだけれど、あふれるほどの“愛”や“慈しみ”を

いっぱい、あげてからでいい。

 

“愛”をいっぱいかけた思い出が、きっと “自分の心”も癒やしてくれる。

報いを求めるのは“愛”じゃないけれど、心のからの“愛”は、きっと世界を癒やして

くれる。

 

手間(努力)もヒマ(工夫)も必要だけれど、

ずっと、“愛”や“やさしさ”でありたいと、思い続けてきた。

 

いつか“自分のすべて”がそうなればいい、と思う。

それまでは私も、“いいもの”をいっぱい見て、“やさしいもの”にいっぱい

ふれよう。