“やすらぎ”を生きてほしい
(*最近なんどか自殺のニュースを見たので・・・)
自殺した方に何かをいう形になっていたら申し訳ない。
基本このブログは、誰にも何も言わない。
だけど、できることなら“やすらぎ”を生きてほしい、と思う。
“無理”をしないでほしい、と想う。
私もなんどか、カミソリを手首に当てたことがあった。
しかし、私の悩みなど“甘え”でしかない。
自分が、無条件の愛の愛を注いでくれるはずの母親が
早くに亡くなった存在、だとしても、・・・“愛”がなくなったわけじゃない。
愛情表現に不器用な厳しい父に育てられたとしても、
それでも、“愛”が消えたわけじゃない。
それどころか、
もし親子の間が、前世で約束されたものなら、母親は、何でこんな
子供を残して自分が先に逝くような状態に、つきあってくれたのか、
こんなに大きく、こんなに深い“愛”など、
弱い私には考えられない。
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親のいない哀しみを、何度も繰り返し嘆いた私が “その愛”に気づいたとき、
“母”を想って、胸が詰まり、こみ上げてくるものを押さえられなかった。
人生を無理に頑張る必要はない。
でも、できるなら、どこかに逃げ道を作って、ほんのもう少し、生き延びて
ほしい。
“この世界”が“愛”でできていることに気づくことができれば、
きっと、世界のすべてがやさしさに見えてくる。
ほんとうは、その“証拠”は、道ばたの石ころのように、そこら中にある。
ただ、見ようとしなければ見えない、だけだ。
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私は今、ひとりぼっちだ。
でも、この“やさしさ”や“愛”は、いつでも私の傍らにいる。
いてくれる。
いや、そばじゃなく、私の心の内に、・・・いつも一緒にいてくれるのだ。
それは、一人より二人がいいし、愛する人が一緒にいてくれる方がもっといい。
でも、たとえ愛する人が離れていっても、それは一つの“卒業式”なだけ。
“愛”はいつだって、取り込むものじゃないし、それが相手の幸せなら、
“手放す”ものだ。
若いころ、手首に当てたカミソリを、引き切らなかったからこそ、
今の“あたたかな”心がある。
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この世界の“法則”は、“認めたもの”が大きくなる。
見ようとしたものが、見つかり、多くなる。
だから、今の、“幸せ”の部分に目を向けよう。
今の人生の、“でもこれがある”っていうような、希望と愛に目を向けよう。
絶望から目をそらし、“希望”と“可能性”に目を向けよう。
『卵子』からみれば、貴女は700万の中から選ばれたたった一人の女性。
『精子』からみれば、貴方は3億~5億の中から選ばれたたった一人の男性、
なのだから。
“この世界”には、絶対に“あなた”にしかできない、“何か”が在る。
いつか、もし、そこに行きついた“あなた”に出会ったら、
“よく頑張られましたねッ!”って、エールを送りたいものだ。