・・・“愛”と“癒やし”を育てる
“愛”と“癒やし”の芽は、
強い風や、強烈な日差しから、自分の手をかけて守ってあげる必要がある。
過ぎ越しのなかで、触れるものの多くは、非情であったり、無情であったりする。
深い愛や、思いやりの心に“世情”のなかで触れることは少ない。
自分の愛し子のように、“その子”が自分で判断ができ、ある程度世の中の“真実の愛”を
見つけられるほどに育つまで、大切に守ってあげたい。
生まれたばかりの時は、弱く、そしてまた、影響を受けやすい。
いい年をした大人だってむずかしいのに、生まれたばかりの純真なまだ何も書き込まれていない状態の時には、
“いいもの”をいっぱい見せてあげて、
“やさしい”話しをいっぱい聴かせて、
“美しいもの”に、いっぱい触れさせてあげたい。
“愛”を育てるには、“愛”をいっぱいあげる。
“やさしさ”を育てるには、やさしさをいっぱいあげる。
“慈しみの心”を育てるには、なにかに慈しみの心をかける、必要がある。
“愛”は厳しさでもあるけれど、少し後からでもいい。
“愛”は自立を求め、手放すものだけれど、あふれるほどの“愛”や“慈しみ”を
いっぱい、あげてからでいい。
“愛”をいっぱいかけた思い出が、きっと “自分の心”も癒やしてくれる。
報いを求めるのは“愛”じゃないけれど、心のからの“愛”は、きっと世界を癒やして
くれる。
手間(努力)もヒマ(工夫)も必要だけれど、
ずっと、“愛”や“やさしさ”でありたいと、思い続けてきた。
いつか“自分のすべて”がそうなればいい、と思う。
それまでは私も、“いいもの”をいっぱい見て、“やさしいもの”にいっぱい
ふれよう。